阿蘇ひぐらし通信

庭園鉄道「阿蘇ひぐらし鉄道」のこと、また懐かしい駅の写真も紹介します

西広島駅前は工事中

広電(広島電鉄)から西広島でJRに乗り換えた。駅前は工事中で歩きにくい。 JRの西広島駅の駅舎はガラス張りでとても新しい。跨線橋から貨物列車の通過するのが見えた。ホームに降りると、1番線に普通列車が入ってきた。1番線と2番線の間には、以前はもう1本…

おおさか東線の駅のホームに「つらら」が

新幹線で新大阪に着いて、JRでそこから奈良に帰ろうとすると、2つのルートがある。 1つは、大阪駅まで行ってそこから大和路快速に乗る、環状線と関西本線(大和路線)を通って奈良に着く。もう1つは、おおさか東線で関西本線の久宝寺まで行って、そこで乗…

朝の赤水駅

朝、赤水駅に行く。山際を見ると、まだ少し霧が残っている。残っているのは山の上の方ではなく、地上に近いところだ。このような朝は、山に登ってみると雲海が見えたのだろう。でも、早朝に行く必要があるのだろう。この時期、少し肌寒くなってきた頃なので…

地震前の赤水駅を作る

最寄駅であるJR赤水駅のかつての姿を、模型で再現したいと思っていた。熊本地震で趣ある木造駅舎は痛んでしまい、残念ながら取り壊された。今は、箱のような待合所があるだけだ。 駅舎を全てを自作するのは大変なので、似たようなキットを改造して組み立てる…

保線用の車両、レール探傷車

赤水駅に行ったら、保線用の車両が側線に置いてあった。車体の側面に「レール探傷車」と書いてある。 以前に(2015年)この駅に置いてあったのは、外国製(確かオーストリアだったか)の車両だった。この数年の間に、日本製の車両ができたのだろう。 クリー…

蓮の寺、五條の生蓮寺(しょうれんじ)

蓮を見るには、ちょっと遅い時間かなと思ったけれど、きれいに咲いていた。時々、ハラと1枚の花びらが散るのも見られた。 入り口にも蓮の鉢が置いてある。本堂の前にも、蓮の鉢がたくさんある。栽培している品種も多く、ガイドブックにはここの住職が蓮を研…

近鉄の一回り

まだ乗ったことのない、近鉄の生駒線・田原本(たわらもと)線に乗ってみようと思った。電車に乗るだけなら、暑い日でもいい。奈良から生駒まで行って、乗り換えて王寺に行く。王寺から田原本に行って、そこから大和西大寺まで戻って、そこで乗り換えて奈良…

タルゴ脱線

1977年だから今から45年も前だ。スペインに行った時の写真である。 はじめの写真は、マドリード アトーチャ駅である。構内は暗くて色が分からないが右側にタルゴの丸窓が見える。次の1枚は丸い端の車両、電源車ではないか。 その後の4枚は、列車の中から撮…

三輪駅を降りると大神(おおみわ)神社

大神神社はの大神は「おおみわ」と読む。神社の背後の三輪山がご神体で、日本最古の神社の1つだ。三輪山だから神社の名前も「みわ」と読むのだろうか。 以前、大神神社に来たときは賑わっていたが、この日はひっそりしていて人もほとんどいない。古い木造の…

巻向駅、纏向遺跡と字が違う

巻向駅は、ホーム1面の単線の駅である。線路の西側は少し低くなっていて、そこから見ると目の高さに電車の台車くらいが来る。 奈良行きの電車227系が入ってきた。正面の両端についている転落防止用の板が初めてみると異様な感じである。写真の1両目はクモ…

改修された柳本駅

柳本駅は標準的な木造駅舎である。最近改修されたのだろう、きれいな外観である。壁の下部は特徴的な正方形の模様がある。なまこ壁というらしい。 ちょうど高田行きの列車が入ってきた。ホームは対向式の2面で、列車の交換できる。これも2両の奈良行きがき…

屋根が新しい長柄駅

桜井線の天理から1つ南の駅が、長柄(ながら)駅である。「屋根が新しい」と聞くと屋根以外は古いのかと思うだろうが、写真で見てもらうとわかるように、屋根しかない駅である。 ホームは1面、線路の西側にある。駅の名所案内を見ると、「大和神社」に「お…

久しぶりの熊本

久しぶりに新幹線で熊本に行った。コロナ下ではできるだけ早く着く方がいいと思って、このところ飛行機しか使わなかった。 熊本で乗り換えに時間があったので、駅の外に出てみた。駅の改装が完成したようで、すっきりした外観になっていた。駅前の広場には、…

広電西広島駅、路面電車から専用軌道へ

広島は路面電車の街である。広島電鉄(広電)が、1番から9番まで8系統(なぜか4番がない)あって、広島市の中心部を走っている。その中で2番の電車は、広島市から出て遠く廿日市(はつかいち)市の宮島口まで行く。 広電西広島駅が路面電車(併用軌道)から…

八木西口駅、近鉄橿原線

大和八木駅は京都と橿原神宮を結ぶ橿原線と、大阪難波と名古屋を結ぶ大阪線の交わる乗換駅である。その1つ南の駅が、八木西口駅である。小さなひっそりとした駅だが、急行は止まる。 写真は東側の入り口であるが、階段を降って地下に改札口がある。ホームで…

畝傍(うねび)駅、どうなるのか?

昨年だったか、橿原市がJR畝傍駅舎の利用を募集したが、まとまらなかったという話を聞いた。取り壊される可能性もあるのではないかと思って、見に行った。 畝傍駅は奈良から高田(大和高田市)につながるJR桜井線の駅である。奈良発の電車は高田より先は和歌…

近鉄西ノ京駅、目の前が薬師寺

近鉄西ノ京の駅は、線路の両側に2つのホームがあるだけで駅舎がない。2つのホームは地下道でつながっていて、改札口は地下にあって東西どちらへも出ることができるようになっている。 線路は地面と同じレベルなので、普通だったらホームから直接出るように作…

ロンドンから南へ、チャリングクロス駅か、1977年

古い写真である。これはロンドンから南へ、「ロムニー鉄道」に乗るために行った時だ。 客車のドアが、1つの車両に多数ついているのが見える。これは客車の中に通路がなく、1つ1つ区切られた部屋があってそれぞれにドアがついているからだ。この頃(1977年)…

飛鳥駅から甘樫丘展望台へ

先月、近鉄の飛鳥駅に行った。冬としては少し暖かく天気の良い日だった。駅前は広場になっていて、緩やかな階段を登って改札口に続いている。 駅名は「飛鳥」と書くが、村の名前は「明日香村」と書く。村の名前は当て字かと思ったが、古くから両方の表記があ…

網走駅のキューロク

1973年の網走駅である。3月末でまだ雪の残る頃。大正生まれのキューロクだが、 「49699」は川崎造船所で1921年度(大正10年)に製造された90両のうちの1輌である。 この頃は北海道ではキューロクはまだまだ活躍していた。向こうの方には貨車が見える。腕木式…

内牧駅の駅舎も箱

豊肥本線が全線復旧したのは喜ばしいことです。しかし、内牧駅も立派な木造駅舎があったのですが、地震で壊れて取り壊されました。 先日内牧駅に行ったら、駅前のバス停の看板と、その近くに箱がありました。その箱が待合室です。寂しい限りです。 例によっ…

風連駅、列車はどちらに向かう? 名寄か、旭川か

その時は留萌方面から朱鞠内湖に行って、その後、ここ風連にやって来たと思う。その頃は、まだ深名線があって、朱鞠内の駅で列車の写真を撮った。 風連の駅は、1輌のディーゼルカーが入ってきた。どちらからやってきたのか? つまり「旭川から、それとも名寄…

水前寺駅 マンションの谷間で驚いた

水前寺から電車に乗ろうと思って、久しぶりに駅を見て驚いた。1階は店舗、2階が駅で、その上はマンションになっている。「JR 水前寺駅」の文字がかろうじて駅だということを示している。 ホームに出て見ると反対側もマンションが続いて建っていて、ホーム…

赤水駅の今、駅舎がない

肥後大津発、宮地行きの2輌のディーゼル列車は、赤水駅に着いた。降りたのは2人だけ。宮地方面に走り去った。熊本地震の時、ディーゼルカーが脱線したのはこの先の踏切付近である。 地震で何が変わったかというと、駅舎がなくなったことである。ホームはほと…

熊本地震から4年半、肥後大津−赤水を行く

熊本地震で豊肥本線の肥後大津駅-阿蘇駅間は、ずっと不通になっていました。このあいだ7月末に阿蘇に来たときには、試運転の列車が走る初日でした。その後、8月8日に営業運転を再開しました。4年4月かかりましたが復旧できて安心しました。 私は試運転は見…

稚内、最北端の線路

1973年4月、稚内の駅構内である。雪がまだ残っていてとても寒かった。 手前に車止めが見える。遠くには、タンク車などの貨車が止まっている。貨車の入れ替え作業をしているのだろう。ディーゼル機関車のようだ。この頃は、鉄道で運ぶ貨物も多かった。 稚内か…

北海道のどこの駅か? ひかわ、むかわ?

1973年4月の写真である。北海道に行った時の写真ということはわかっている。襟裳岬辺りから、次の日は稚内に行ったので、どこの駅かわからない。 左端に駅名板が写っていて何とか読んでみると、3文字の平仮名で「ひかわ」か「むかわ」か、また2文字目は実は…

初めて行った天理駅

JR桜井線に直交するように近鉄天理線が伸びてきてこの天理駅が終点になっている。2階がJR、1階が近鉄である。駅は一体となっていて、駅前から近鉄のホームと行き止まりの車止めが見える。 近鉄は、天理から3つ目の平端(ひらはた)で橿原線に合流する。電車…

櫟本(いちのもと)駅、古い木造駅舎と跨線橋

階段を少し登って入る、きれいな木造駅舎である。多分古いものだろうが、最近瓦を葺き替えたのだろう。電話ボックスも無彩色で、販売機も目立つところにはなくて、好ましい。 「櫟」の字はイチイと読むが、櫟本と書いて「いちいもと」ではなく「いちのもと」…

宮津線の東雲(しののめ)駅 、JR西日本の頃

この時はまだJRだった。この翌年に北近畿タンゴ鉄道に移管されるのだが。西舞鶴から宮津に向かって、四所、そして次が東雲である。 線路は行き違いができるようになっているが、向こう側の線路や敷き込み線には草が生えている。レールも茶色だしほとんど使わ…