震災遺構 東海大学阿蘇キャンパス
熊本地震から4年8ヶ月経つ。あのとき東海大学阿蘇キャンパスの入り口近くの、国道の橋が崩落し、学生アパートが倒壊し、キャンパス内の建物も被害を受けた。建物の被害が大きいため、東海大学は阿蘇のキャンパスを廃止して、熊本市にある東海大学に仮に移転した。
廃止されたキャンパスの一部が熊本地震の遺構として保存され、今年8月から公開されている。地震の後、キャンパスの入り口付近は覗いてみたことがあったが、中には入っていない。今回、是非見たいと思った。
思い立った日がちょうど火曜日で休館日ということがわかったので、翌日水曜日に出かけた。
地面に亀裂の入ったところが、柵で囲ってある。この亀裂がずっと壊れた後者の方へ続いている。中学生か高校生が見学に来ていた。私は、その学生たちとは別に、案内の人に説明してもらった。
壊れた校舎が切断されている。そのままにしておくと歪みがかかって壊れてしまうので、3つに切断したとのこと。耐震の補強をした部分は被害が少ないようだ。
玄関前にはスクールバスの立て札とゴミ箱が散乱している。先に、大きな崖崩れの起こった山が見える。この先には行けない。
西の方を見ると、京都大学の阿蘇火山研究所が見える。あそこは被害はどうだったのだろうか。その左手奥に、湯の谷温泉の煙が見える。そこは地震以前に閉鎖となったところだけれど。
入口近くの八角形の建物跡は、学生会館だったところだ。コンクリートの土台だけが残されている。
東海大の農学部が移転してしまったのは残念だ。大学のある村というのも珍しかっただろうし、南阿蘇村のこの地区の人は、学生の下宿や食堂で暮らしを立てていた人も多かった。この日説明してくれたのも、この地区の方だった。
でも遺構という形でも公開して残すことができたのはよかったと思う。
赤水駅の今、駅舎がない
肥後大津発、宮地行きの2輌のディーゼル列車は、赤水駅に着いた。降りたのは2人だけ。宮地方面に走り去った。熊本地震の時、ディーゼルカーが脱線したのはこの先の踏切付近である。
地震で何が変わったかというと、駅舎がなくなったことである。ホームはほとんど変化がない。変化は駅名板が黒地になったことくらいである。
線路に沿って通路を歩いて行くと、もう駅の外である。プレハブの小屋みたいなものが建っていて、一応列車を待つことができる。入れるのは2-3人くらいだろうか。中には「麦わらの一味」のキャラクターの看板が立っていた。コミックのことはよく知らないので何とも言えないが、狭い場所で一緒に待つのはいかがなものだろうか。
時刻表を見ると、上下それぞれ1時間に平均1本程度であるが、空白の時間が目立つ。地震の前と比べて減ったように思うがどうだろうか。調べてみよう。
この日は朝、水前寺を出たのだが、10:17着の特急を除くと9:35着の次は11:43着でこの間2時間以上もある。これは不便である。しかもその特急(あそぼーい!)は満席だった。
熊本地震から4年半、肥後大津−赤水を行く
熊本地震で豊肥本線の肥後大津駅-阿蘇駅間は、ずっと不通になっていました。このあいだ7月末に阿蘇に来たときには、試運転の列車が走る初日でした。その後、8月8日に営業運転を再開しました。4年4月かかりましたが復旧できて安心しました。
私は試運転は見ましたが、8月8日の開通の日にはもう阿蘇を離れていたので、実際に列車には乗っていません。今日(11月28日)乗ることができました。
肥後大津を出る列車は宮地行き普通、赤いディーゼルカー2両編成です。キハ200系です。次の駅瀬田では普通列車と交換しました。瀬田駅は地震前と特に変わっていないようです。駅名板が黒地になったくらいでしょうか。
次の駅が立野です。ここから先が一番被害が大きくて、復旧が大変だったところでしょう。「熊本地震からの復旧復興、応援ありがとうございます」という看板がかかっていました。「2020年豊肥本線全線開通」はいいにしても「2023年第三セクター南阿蘇鉄道全線開通」は将来のことです。「予定」と書くスペースがなかったからかな。それとも看板を2023年以降まで使おうと思ったのでしょうか。
立野から次の赤水までは、スイッチバックで登ります。ここが被害の大きかったところで、スイッチバックは運転に不便だし、時間もかかるし、スイッチバックをやめて新線でも作るのではないかと思っていました。貴重なスイッチバックが残ってよかったです。駅のためのスイッチバックはたくさんありますが、本線がスイッチバックになっているのは珍しいのです。
運転台から見える先の線路は草に覆われて行き止まりです。ここから列車は逆方向に進みます。ホームの端から続く赤い道が、この駅からの乗客の出入り口です。
列車は立野を出て急勾配を登ります。しばらく登って停車し、運転士は車輌内を歩いて逆側の運転台まで行き、反対方向に運転します。ワンマン列車なのです。車掌がいる列車では、車掌が前方を確認して運転士がバックさせることができるので、移動する必要がなく無駄な時間がかかりませんが。
地震で崩れた斜面をコンクリートで固めたところが何カ所も車窓から見えます。斜面の下側、進行に向かって右側に、崩落した(国道の)阿蘇大橋が引っかかったままの形で見えました。
4人ぐらいの人が、運転席の後ろに立って前を見て写真を撮っていました。鉄道ファンでしょうか。目的は地震の復旧の跡なのか、それともスイッチバックでしょうか。私は目立たないように、自分の席から撮っていました。
いつも通る踏切を過ぎると赤水の駅です。特急の停車駅だというのに、降りたのは私だけでした。列車は宮地の方へ走っていきました。
ディーゼル機関車 DD54、その後
先日購入したボークス造形村のDD54です。サウンドデコーダーを取り付けようと思って、車体を外そうとしましたが、そこで困りました。どうやって外せばいいかわかりません。説明書には書いてありません。ネットで調べて、ネジを4本外せばいいと書いてありました。ネジを外してみても車体が外れません。後で分かったのですが、外すネジを間違えていたようです(無理に力を入れたので、ちょっと壊してしまいました)。
結局、買ったお店に持っていって、外してもらいました。なかなか外しにくいようでした。
写真のように、元からはまっていた基盤を外して、代わりにデコーダーを差し込みました。スピーカーは黒い箱の中に入れましたが、もっと大きなものが予定されていたようです。うまく走ることを確認して、上回りの車体をはめました。
しばらくはうまく走っていたのですが、時々走らなくなるトラブルがありました。ライトの点灯や音はするのですが、動きません。デコーダのリセットもしました。でも、解決しません。
前回書いたようにデコーダーは、クマタ貿易から購入したESU製のものです(リセットはCV8に8を書き込む)。
結局、問題は解決していません。なぜでしょうか。フライッシュマンのSLも同じ症状が出ることがあります。コントローラーの問題でしょうか。Roco(ロコ)のZ21を使っています。
DD54 2020年11月20日
DD54が入線
1ヶ月ほど前に日本橋のボークスに行って、DD54(造形村、ボークスの関連会社)を見て、そういえば何年か前、展示用の線路を音を出して走っていたのを思い出しました。そこでは、サウンドボードの入ったDD54を売っていなかったのですが、是非欲しいと思いました。HOというか、16番(1/80・16.5mm)です。
そこで先日京都のボークスの本店に行きました。数年前に来たときとは違って、客も少なく何か寂しい感じになっていました。
ここでもサウンド付きのDD54は置いていなくて、自分で取り付けるしかないようでした。どのようなボードを買ったらいいのかを聞いても分からないということで、ちょっと迷ったのですが、21ピンのDCCデコーダーが簡単につけられるようになっているとのことだったので、思い切って購入しました。機関車を買うのは久しぶりです。
家で走らせてみましたが、走行音も静かでスムースに走ります。サウンド付きのDCCデコーダをネットで探すと、クマタ貿易で造形村製のDD54に合わせたものを売っていることがわかりました(店で言ってくれたらいいのに)。デコーダーは昨日届きましたが、ドイツのESU(エズー)の製品にクマタ貿易で音を入れたもののようです。
機関車と同じくらいの値段だったのがちょっと高すぎるように思いました。まだ取り付けていません。ナンバープレートなどもまだです。
ボークス(造形村)が、鉄道の模型を売り出すときに、DD54を選んだのはなかなか良い選択だったと思いました(他に、新幹線の0系、EF13)。DD54は、スタイルもエンジンもユニークだったのに、不運なことに事故が続いて活躍できなかった機関車だったと記憶しています。車軸の配置も、2-1-2という珍しい(日本では唯一)のものです。
つい、私のようなファンが買ってしまいそうな機関車です。
1970年頃に福知山線を走っていたのを見た記憶があります。京都鉄道博物館に33号機が展示してあります。たまたま昨日行きました。
DD54 2020年11月12日