阿蘇ひぐらし通信

庭園鉄道「阿蘇ひぐらし鉄道」のこと、また懐かしい駅の写真も紹介します

阿蘇ひぐらし鉄道、2020年を振り返る

 阿蘇ひぐらし鉄道 まほろば線は、今年2020年6月9日に開通しました。家の周囲を回る線路は46mになりました。

 廃線になった呉羽の里線で取り外した線路を使ったので、ほとんど線路を切断する必要がなく、工事は楽でしたし工期も短くできました。玄関横の階段部分の台もまずまずの出来上がりで満足しています。まだ線路の微調整や、石を撒く必要のあるところなどするべきことが残っています。

 今年はコロナウイルスのことで訪れる人が少なかったので、乗客はほんの少しでした。また車両は、古くなって痛んでいる箇所もあり、大掛かりな補修が必要かもしれません。この5年くらい車両の新造もありません。来年の発展が期待されます。

f:id:asohigurashi:20201227180100j:plain

f:id:asohigurashi:20201227180116j:plain

f:id:asohigurashi:20201227180212j:plain

f:id:asohigurashi:20201227180244j:plain

f:id:asohigurashi:20201227180318j:plain

f:id:asohigurashi:20201227180340j:plain
阿蘇ひぐらし鉄道 まほろば線 2020年12月27日

はじめてインレタ を貼る DD54

 ボークス造形村のDD54です。前回(11月24日)は、DCCデコーダを取り付けたが時々動かないことがあると報告しました。しかし、その後そういったことは起こらず快調です。フライッシュマンのSLも同じく問題はありません。ということで、原因はわかりませんが、忘れることにしました。

 このDD54は、車両番号などが印刷されていなくて、インレタを自分で貼るようになっています。それ以外も細かい部品を取り付けるようになっています。部品はともかく、車両番号なしではちょっと見栄えが悪い。

 今までインレタを貼ったことがなかったのですが、今回やって見ることにしました。

 まずは、「インレタの貼り方」をネットで調べました。すると、インレタツールという擦るための道具があることがわかりました。なくてもその辺のものでできるとのことでしたが、初心者としては道具が大事だと思い、注文しました(ミネシマ、インレタ ツールTM-101)。

 あとはやってみるだけです。車両番号も「DD54 17」というように一体となったものがなくて、「DD54」とあとは数字が00112233・・・と並んでいるので余計に面倒です。好きな番号が作れるようにしたのでしょうが。

 切り出した番号をメンディングテープに貼って車両の上に固定し、インレタツールで擦って転写する方法をとりました。17番を選んだのですが、「7」の横棒がうまく転写されず困りました。「7」を選んだのがよくなかったかもしれません。転写したあとは、保護紙を当てて押さえて定着させます。

 少しずつ慣れてきて、なんとか4箇所に車両番号をつけることができました。ちょっとずれたりかすれたりしたところもあります。でも、なんとか貼り終わることができて満足です。

 しかし、私にとっては車両番号などはメーカーの方で印刷してあった方がいいです(老眼になって来たということもあるかもしれませんが)。それと、注意深く扱わないとすぐ壊れる部品があるのもよくないと思います。確かに、ディティールをというユーザーからの要望があるのでしょうが、もっと手軽に扱えることも重要だと思います。

 これはメーカーによって違うのでしょうが、最近日本製のHO(16番)の車両をあまり買っていないので、わからないところもあります。

f:id:asohigurashi:20201214181944j:plain

f:id:asohigurashi:20201214182347j:plain

f:id:asohigurashi:20201214182230j:plain

f:id:asohigurashi:20201214182054j:plain
DD54 17 2020年12月14日

網走駅のキューロク

 1973年の網走駅である。3月末でまだ雪の残る頃。大正生まれのキューロクだが、

「49699」は川崎造船所1921年度(大正10年)に製造された90両のうちの1輌である。

 この頃は北海道ではキューロクはまだまだ活躍していた。向こうの方には貨車が見える。腕木式信号機の向こうにはC58も見える。

 キューロクは大きな音を立てて出発して行った。

f:id:asohigurashi:20201213182524j:plain

f:id:asohigurashi:20201213182547j:plain

f:id:asohigurashi:20201213182615j:plain

f:id:asohigurashi:20201213182637j:plain

f:id:asohigurashi:20201213182657j:plain

f:id:asohigurashi:20201213182718j:plain

f:id:asohigurashi:20201213182730j:plain

網走(あばしり)駅 国鉄 石北本線釧網本線 北海道網走市 1973年3月31日

内牧駅の駅舎も箱

 豊肥本線が全線復旧したのは喜ばしいことです。しかし、内牧駅も立派な木造駅舎があったのですが、地震で壊れて取り壊されました。

 先日内牧駅に行ったら、駅前のバス停の看板と、その近くに箱がありました。その箱が待合室です。寂しい限りです。

 例によって、「麦わらの一味」のキャラクターが置いてありました。時刻表を見ると、赤水駅より列車が少し少ないようです。特急が止まりません。地震で不通になる前からそうだったのでしょうか。

f:id:asohigurashi:20201213174620j:plain

f:id:asohigurashi:20201213174634j:plain

f:id:asohigurashi:20201213174646j:plain

f:id:asohigurashi:20201213174657j:plain
内牧(うちのまき)駅 JR九州 豊肥本線 熊本県阿蘇市 2020年12月1日

風連駅、列車はどちらに向かう? 名寄か、旭川か

 その時は留萌方面から朱鞠内湖に行って、その後、ここ風連にやって来たと思う。その頃は、まだ深名線があって、朱鞠内の駅で列車の写真を撮った。

 風連の駅は、1輌のディーゼルカーが入ってきた。どちらからやってきたのか? つまり「旭川から、それとも名寄から」をはっきりさせようと調べてみた。駅名板は写ってはいるけれど、角度が悪くて読めない。写真は時間順に並べてある。

 (1)写真から見て駅舎は、手前の撮影者のいるホーム側にあるようだ。(2)4・5枚目の写真で、ホームに挟まれた2線以外に引き込み線が見える。(3)3-5枚目の写真で、こんもりした林が見える。

 風連駅付近では線路は北東から南西へ走っている。それが名寄から旭川に相当する。

 ネットで調べた地図と航空写真を見ると、上の(1)の駅舎は北西側、(2)の引き込み線、(3)の林はいずれも南東側のようだ。上の3点は矛盾なく、列車は北東からきて南西へ、つまり名寄から旭川方面に向かったと結論できる。

 2枚目の写真に写っている駅名板を拡大して見ると、隣の駅名は読めないが、左手が右手より文字数が多いとわかる。風蓮駅の隣は名寄側は東風連(ひがしふうれん)、旭川側は瑞穂(みずほ)なので、東風連から瑞穂へ向かっているという結論と一致する。

 ということで、旭川行きの列車だったといえる。ネットに時代になって、こういうことが簡単にわかるようになって感慨深い。

 前方には「普通」の表示、後方には「快速」の表示があって、その点はどちらかはわからない。1993年の宗谷本線の時刻表を、ネットで簡単に見るのはまだ難しいようだ。

f:id:asohigurashi:20201213163928j:plain

f:id:asohigurashi:20201213163946j:plain

f:id:asohigurashi:20201213164011j:plain

f:id:asohigurashi:20201213164032j:plain

f:id:asohigurashi:20201213164045j:plain
風蓮(ふうれん )駅 宗谷本線 北海道名寄市風連町1993年8月

水前寺駅 マンションの谷間で驚いた

 水前寺から電車に乗ろうと思って、久しぶりに駅を見て驚いた。1階は店舗、2階が駅で、その上はマンションになっている。「JR 水前寺駅」の文字がかろうじて駅だということを示している。

 ホームに出て見ると反対側もマンションが続いて建っていて、ホームの端の方へ行かないと陽の光も射さない。

 どこか遠くから水前寺に来た人は、何か倉庫の裏側が見える暗いホームに降りることになる。印象は悪いだろう。効率は悪くても、昔のような駅らしい駅舎が残せなかったのだろうか。

 水前寺駅は、乗車人数が熊本県内で熊本駅新水前寺駅に次いで3番目に多いらしい。それなのに、こんな駅舎だとはちょっと情けない気持ちになる。

f:id:asohigurashi:20201209162829j:plain

f:id:asohigurashi:20201209162854j:plain

f:id:asohigurashi:20201209162907j:plain

f:id:asohigurashi:20201209162926j:plain

f:id:asohigurashi:20201209162938j:plain
水前寺駅 JR豊肥本線 熊本市中央区水前寺 2020年11月28日

国道57号線 元の道、北側復旧ルートの両方が開通

 2016年に熊本地震で寸断されていた、大津・阿蘇間が開通しました。10月3日に、元の道と北側の復旧ルートの2つのルートが同時に開通しました。

 その道を今回初めて通ってみました。

 国道57号線市ノ川駅赤水駅の中間あたりに「阿蘇西IC」があります。そこから入ると自動車専用道路で、トンネルを通って大津までつながっています。片側1車線ですが、信号もないので15分程度で着きました。

 帰りは、大津から今までの57号線を走りました。阿蘇大橋はまだ完成していませんが、そこまでは方側2車線になっていました。

 阿蘇大橋が落ちたところの辺りは駐車場になっていました。そこで車を止めました。大津方面行きの赤いディーゼルカーが通りました。その向こうの崖が、地震で大きく崩れたところです。立札を見ると、「数鹿流(すがる)崩れ」と呼ばれているようです。

 落ちた阿蘇大橋の向こう岸側は、無残に引っかかったままになっています。撤去するにはお金がかかるのでしょう。新しい阿蘇大橋は、前の場所より少し下流側に建設中です。写真のようにもう完成間近で、来年3月には開通と聞きました。

 後、主な道路や鉄道で復旧が残っているのは、南阿蘇鉄道だけです。まだ3年くらいかかる予定のようです。

 よくここまで来たものだと思います。私も阿蘇に来るのが楽になりました。4年前のように阿蘇から大津の町にも簡単に行けるようになりました。

f:id:asohigurashi:20201206185734j:plain

f:id:asohigurashi:20201206185802j:plain

f:id:asohigurashi:20201206185814j:plain

f:id:asohigurashi:20201206185832j:plain
数鹿流(すがる)崩れ 熊本県阿蘇村立野 2020年12月1日