藤原宮跡、桜と菜の花は終わったけれど
藤原京は16年間の都でしたが、初めての本格的な都市で、その形はその後の都に受け継がれています。平城京の1つ前の都です。持統天皇・文武天皇の時代です。石碑や案内板が立っていました。
南東方向には天香久山(あまのかぐやま)、南西方向には畝傍山(うねびやま)、北には耳成山(みみなしやま)があり、その三つの山の作る三角形の中央に藤原宮が位置します。その場所は広い草原で、将来は宮殿を復元するのでしょうか、朱色の円柱が立っています。
天気の良い暖かい日で、キタテハが飛んでいました。枯れ葉の中に時々止まるのですが、葉っぱと色が似ているのでよく見えません。ここに載せた写真に写っているのですが、拡大しないとわからないでしょう。
タンポポが咲いていたのですが、よく見ると外来の西洋タンポポではなく、どれも日本タンポポでした。正確には関西タンポポでしょうか。たくさん咲いています。奈良には在来種が残っているところが多いのでしょうか。
道を隔てた北側には、菜の花が一面に生えていました。花の盛りは過ぎて種ができかけています。桜もかなり散っています。もう1週間前くらいが見頃だったと思われます。
菜の花畑の向こうに列車が通りました。桜井線の2輛編成の電車です。