宮津線の四所駅、JR西日本の頃
1989年、既に国鉄が分割民営化され、第三セクターの北近畿丹後鉄道に編入される直前の頃の宮津線である。四所(ししょ)というちょっと変わった名前の駅だった。四つの村があったのが由来らしい。
四所駅は標準的な木造駅舎である。宮津線は舞鶴線の西舞鶴から分岐し、四所は次の駅である。ここも舞鶴市である。
線路がカーブしたところに駅があるのも少し珍しい。この頃はホームの駅名標が木製でだった。タブレット受けもそのまま残っている。でもこの頃はもう使っていなかったと思うが。
しばらくすると宮津方面から、DE10に牽引されて列車がやってきた。駅舎から遠い方の2番線に停車した。和風客車「あすか」と表示されている。西舞鶴方面から来たキハ58形の列車と行き違った。急行と書いてあるが、名前は何だったのだろうか。