阿蘇ひぐらし通信

庭園鉄道「阿蘇ひぐらし鉄道」のこと、また懐かしい駅の写真も紹介します

40年前の太平洋炭鉱専用線

 雪の残る釧路の街に,たまたまナローの鉄道を見つけて写真を撮った.40年も前のことだ.大学生の頃,友人2人と一緒に北海道に行ったが,興味の対象も違うので,ときどき別れて1人になった日もあったようだ.

 この頃は,国鉄から蒸気機関車が廃止される直前の時期で,「SLブーム」だった.世の中の誰も彼もがSLを追いかけていて,私は以前から鉄道には興味があったが,私の中では余り鉄道には熱心でない時期だった.この「太平洋炭鉱専用線」の写真も10数枚あるだけだ.

 もっと熱心にナローの鉄道を見ておけばよかったと思う.その頃なら,北海道には興味深い鉄道がまだたくさん残っていただろうに,残念である.

 この凸電は正面から見ると幅が狭くて背が高く見えるのに,それでも高さが足りなくて,屋根には高い台があってその上にパンタグラフが乗っている.7号機の写真には,遠くの方に客車も写っている.

 40年前のネガを見つけて,今回は「谷人たちの美術館」の展示のため急いでいるので,とりあえず家のスキャナーでデジタル化した.それを,A1サイズに印刷したのだが,予想外によかった.どうしてもゴミが入るので,それを修整するのに少し手間がかかったが.

 プリントした写真よりネガの方が褪色も少ないようだ.それなのに,古い感じを出すために,少し彩度を落としたり白黒で印刷したりしてしまった.

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太平洋炭鉱専用線 北海道釧路市 1973年4月